小平明彦について

小平 明彦

オステオパシーの哲学と、解剖学・生理学など科学的見地に基づいた人体に対するアプローチをもって治療を行う柔道整復師。
1980年生まれ。柔道整復師の国家資格を取得後、中島整骨院(長野県安曇野市)に入職。整骨院治療を学ぶ傍ら、整膚治療、レインボー治療、Shiokawa School of Chiropracticにてトムソンテクニック・ガンステッドテクニックを学ぶ。また、2015年より現在に至るまで日本オステオパシープロフェッショナル協会(JOPA)に通い日々鍛錬に励む。2017年4月、こだいら整骨院(長野県諏訪市)を開院。

こだいら整骨院 院長
日本オステオパシープロフェッショナル協会(JOPA) 会員

開院にあたって

開院にあたって

私が柔道整復師を志したきっかけは高校生の時、ラグビーに勤しむ日々の中での整骨院との関わりであった。ケガに悩まされた当時の私を柔道整復師の先生は親身に治療してくれたという記憶がある。

私が柔道整復師の国家資格を取得し、入職したのは長野県安曇野市の中島整骨院である。入職前の見学で訪れた際のインパクトが凄かったのを今でも覚えている。中島整骨院で行われていた施術は、全ての知識や技術を治すことに注いだ「治すための治療」であった。一人一人の症状に合わせて身体本来の動きを取り戻させ、痛みを緩和して回復に導く本物の治療である。入職当時の私は、それがテクニックによって改善されているものだと考えていた。しかし経験を重ねていくうちにテクニックはただひとつの要因でしかないことを理解した。それ以上に必要な解剖・生理学の知識、それによって症状の原因を正確に見極める診断力。私にはその基礎知識が圧倒的に不足していたため、そこからのやり直しであった。

「治すための治療」を会得するため、私は我武者羅に勉強を始めた。机上での理論的な勉学に加え、整膚やレインボー治療、数年間東京へ通いカイロプラクティックの知識も得た。さらに中島院長の勧めで学び出したオステオパシーの「体・心・精神が一体となり人体というひとつのユニットとして成り立っている」という概念は、それまで私が言葉で言い表せなかった足りないピースを埋めてくれたように感じた。この時が、知識と技術そしてその根底となる哲学が共鳴した小平明彦式特別治療FOT(ファシア・オブ・セラピー)が生まれた瞬間であったように感じる。

2017年4月。守破離の「離」の段階に達したと考え、中島整骨院を卒業し、生まれ育った諏訪地域にこだいら整骨院を開院した。場所が安曇野から諏訪に変わったとしても、やることは変わらない。常に学び続け、「治すための治療」に全力をそそぎ、FOT(ファシア・オブ・セラピー)を進化させていきたい。日々激動する環境により人間の身体も変化を強いられる。地球全体の環境の変化によって治療がし辛くなっているようにも感じる。患者の症状の変化に合わせて、治療方法も進化させていかなければならないと考えている。

最後に、右も左もわからなかった私に技術と知識、症状の根本原因を見つける診断力、そして柔道整復師としての心構えを授けてくれた中島院長と、日々の苦楽をともにした中島整骨院スタッフの皆、そして今日に至るまで関わって来た全ての方への感謝の意をここに表したいと思う。本当にありがとうございました。心より感謝しております。

また、毎週のように切磋琢磨し勉強しているmatsumoto osteopathy spirit(MOS)のメンバーにもこの場を借りて感謝の意と、今後とも互いに高め合っていくという決意をここに記したい。
中島昌伸 (中島整骨院 安曇野市三郷)
武井丈尊 (武井整骨院 安曇野市穂高)
駒村亮 (理学療法士 長野市)
米沢和真 (理学療法士 中島整骨院)
下里泰伸 (下里整骨院 安曇野市明科)
忍田行憲 (おしだ整骨院 松本市)
川窪武志 (川窪整骨院 塩尻市)
曽根直紀 (柔道整復師 中島整骨院)

より一層邁進していく所存ですので、今後とも変わらぬお付き合いの程、よろしくお願い申し上げます。

2017年4月17日
小平明彦